東京で、高齢の母に付き添って病院へ行った。設備の整う、これまでにない近代構想の綺麗な病院である。社会ニーズに応え続けることが出来る病院を実現させたと歌文句をだしている。再来受付も機械、精算も自動精算機。会計業務効率化ソリューションという便利なものらしい。廊下の案内標識もABCからZまで書いてある。明るく開放的で広い空間に窓口が数か所あるが、アルファベット標識で専門分野区分されている。診察室の医者に辿り着くまでに、何人もの係員に道順をきいたものであろう。気が付くと母がぐったりしていた。診察室の前で待っている間に母はトイレに立つ。15分して困惑状態で戻ってきた母は、広い階を一周してきたという。戻れなかったらどうしようと焦っていたらしい。パリの病院事情と比べるとこんなに綺麗な病院はなくて、デパートのような広大さに圧倒された。しかし、何かが欠けている。何かがおかしい。はて、この病院は若向けか、外人向け専用なのであろうか?ちょっと体調を崩した高齢の方が1人で来れる病院ではなさそうである。アルファベットが分からないと病院内を永遠と歩き続けてしまうかもしれない。付き添いが居ればある程度解決できる事かもしれないが・・・。さらに今の医者は、高齢者を診察するに 「年齢的なものだから仕方ない」と仰るのがお好きらしい。又、それで解決してしまうところが不可思議であった。あきらかに痛みがあるのに、どこにも悪いところはないと、痛み止めの張り薬を進めて終わりである。レントゲンもRMIも取らずに終了。「仕方がない」という言葉がどれほど高齢の方に屈辱を与えているのが、分からないのかもしれない。本人の気持ちは、まるで無視である。ジョーク好きな母は、「片足が棺桶につかっているところ、もう1足を入れてくれと言われているみたいね」と言う。町医者から紹介受けて行った名医がいる病院であったが、どうも、年齢制限があるようであった。社会ニーズに応えるというのは、病院や企業の職員の声に応えたものであって、決して高齢の患者の声に応えていない。日本が抱える高齢化問題、年齢を重ねれば誰もがかかるような病気など、きちんと対応できる医者と、外来での治療が中心となるシニア専用の病院が必要ではないであろうかとぐうたらママは切に願った。舞